「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
6.サンフランシスコにて-9
木村摂津守や勝麟太郎、各士官たちは、地元の各団体が主催する歓迎行事に精力的に出席する一方で、日本側も返礼のパーティを開き、アメリカの要人たちと親しく交わり、日米親善に励んだ。福沢や長尾たち木村の従者も、可能な限り同席を許された。
三月二日に、サンフランシスコ市の正式な歓迎会が市庁舎で執り行われた。
木村摂津守、勝麟太郎以下当直を除く士官の全員が招待に臨んだ。
式場は市庁舎の机や椅子を片付けてスペースを作った応急の場で、正面の高壇に市長を挟んで木村摂津守と勝麟太郎が座る席が設けられ、市の幹部と士官たちは、下のフロアに設けられた肘掛け椅子に交互、左右に分かれて座った。
当時のサンフランシスコは、十数年前に北方にある金山でゴールド・ラッシュが発生してから後、急激に発展した町で、人口六万数千人の小さな都市であったので、迎賓館のような豪華な施設はまだ建設されていなかった。
このため、市庁の階下から二階に通じる室外の階段には、室内に入りきれない正式招待者ではないサンフランシスコ市民がぎっしり埋まっていた。
壇上に木村を導いた市長が木村に握手を求め、木村はにこやかに市長の手を握り返した。
そのとき木村は、懐から自分の名刺を取り出し、市長に手渡して、万次郎の通訳で自己紹介をした。
木村が手にした名刺は、サンフランシスコ到着後地元の新聞社を表敬訪問したときにプレゼントされた軍艦奉行木村摂津守の英文名刺で、『Admiral KIM―MOO―RAH―SET―TO―NO―CAMI Japanese Steam Corvette CANDINMARRUH』と印刷されていた。
このとき木村が使った名刺が、日本人が外国人に使用した最初の英文の名刺であるといわれている。
市長と木村の握手と名刺交換が終わると、木村摂津守はジョン万次郎の通訳を介して、市の幹部たちに向かい、日本の士官たちとも握手をして欲しいと要請した。
同時に、市長に向かって、
「会場の外にいるサンフランシスコ市民の人たちを部屋の中に招き入れ、日米両国民の交歓の場を広げたい」
と、提案した。